在宅介護や家族の負担というものは、いつかあるかもしれないけど他人事、のように思っていました。
父が末期ステージ4のすい臓がんと診断されたのが、約一か月前のこと。
直面した当事者でないと、どんな悩みやストレス、限界が発生したり、感じるのかわからなくて心配になりますよね!
そこで今回は、在宅介護の家族の負担は何なのか、末期ステージ4すい臓がん患者の父とわたしの家族におこった悩みやストレス、限界と感じた体験談を整理していこうと思います!
Contents
在宅介護家族の負担は何?悩みとストレス
父は今年77歳になりましたが、例年春先に地元自治体がおこなっている健康診断を受けています。
直近の健康診断では、例年通りの要経過観察の項目がいくつかあったそうです。
お医者さんから3か月後くらいにまた来てね、と言われてたようでした。
その経過観察のタイミングで通院したところ、今回の病気がはっきりしました。
告知
かかりつけのお医者さんには、
「がんです。
当院では対処さしあげられる段階を飛び越えてしまっています。
紹介状を書きますので、大きな病院で診断処置を受けてください。」
おおまかではありますが、こういう話を両親は聞いたそうです。
この2、3か月でいきなり手の付けられないようながん?
仰天した母から連絡があり、紹介先の病院にはわたしも同行することにしました。
紹介先の病院では、
「すい臓がんが、肝臓、肺に転移しています。
末期ステージ4です。開腹手術、抗がん剤も手遅れです。
余命は一か月なのか三か月なのか、申し上げるレベルにないです。
これからの時間を有意義に使うことをお考えなられてはいかがでしょうか?」
これまたおおまかですが、
両親とわたしの3人そろってお医者さんの話を聞きました。
父は定期健診からさかのぼると、
一か月前くらいから食欲が落ちて倦怠感が強かったとのこと。
地元振興会の役職交代の節目でもあったので、
疲れが出たのだと自分も周りも思っていたようです。
わたしも後から調べて知りましたが、
すい臓がんは気づいたときには手遅れといわれているそうですね。
父はまさにその通りの展開で、
食欲不振や倦怠感がはっきりしてきたこの段階ですでに末期ステージ4。
進行が早かったのは個人的な事情としか言えない、
とお医者さんから聞きました。
告知での悩みは、
患者当人の父も、それを支えていくことになった母も、
あまりにも突然で余命一ヶ月?
という現実を受け止めることができない時間があったことでした。
わたしにできたことといえば、つとめて冷静でいること、くらいです。
ふと取り乱しがちになる母の言うことを、
うんうん、そうやね、と聞いてあげるくらいのことでした。
告知を聞いたあとの父は、思っていたより冷静に見えました。
医療関係の仕事をしていたせいもあってか、
日がたつにつれ、末期とはいえどんな処置が出たらどういう段階か、
というのを整理したり、WEBで打てる手がないかを自分で探していました。
食事
どちらかといえばよく食べる人だった父が、
みるみる食が細くなっていくばかりです。
告知を聞いたころの食事といえば、
冷たい麺類を少しと小鉢で足りる程度のおかず。
あとは食べられて果物が少し、といった感じです。
食事の悩みは、
食べられる量が極端に減ったこと、食べられないものが増えたこと、でした。
食事はきちんと作って食べることを長年信条にしてきた母には、
これがこたえたようです。
残された時間を考えると、料理にもつい力が入ってしまう母。
目の前にずらり並べてもらっても、それを楽しく食べられない父。
このジレンマが続きました。
食べなければ暑い夏に向けて体力は落ちる一方ですし、
かといって当人は固形物を飲み込むと、
痛みを感じるようになってきていました。
そのため、のど越しの良いもの、甘いもの、汁物を好むようになってきました。
食事は当人よりも、周囲の家族のほうが心配だったように思います。
もどかしい時間でしたが、一口でも食べられたら
「食べられたやん!よかったね!」
と大げさに盛り上げて、
父と母の気持ちが下向きにならないようにしてきましたよ!
動線の確保
告知を聞いてすぐに手を打ったのが、ベッドの移動でした。
父母が暮らす実家は、古い木造2階建ての一軒家です。
寝室はその2階で、寝具はベッドでした。
今の睡眠の質を中途半端に変えないようにということで、
ベッドを1階に移動させることにしました。
介助ベッドのレンタルも選択肢ではありましたが、
本人のモチベーション維持を考えると時期尚早と考えました。
とはいえ、寝具の移動だけでなく、
トイレ、ふろ場と日常生活の動線を確保しなければいけません。
動線確保の悩みは、
父の体力の低下とともに、杖、歩行器、もしかして車いす?まで見こすと、
けっこうなスペースを確保しなければ!というものでした。
突然発生した大模様替え!
これはわたしと母ではまったく追いつかないので、
母の兄弟にお願いして協力いただきました。
荷物の移動と、この際捨ててしまおうという断捨離の同時進行。
小さなお引越しくらいの作業となりました!
協力していただいたみなさんには感謝しかない時間となりました。
トイレ
告知後もしばらくは、父は自ら立ち上がってトイレに行けていました。
しかし食事量は改善するはずもなく、
病状・痛みの進行とともに取れる食事は
ジュースや柔らかい果物になっていっており、
体力の低下は目に見えていました。
告知から2週間ほどたって、杖が欲しいと父が要望しました。
ケアマネさんに連絡して、杖と歩行器をレンタルしてもらいました。
ベッドから10m?ほどのトイレにいくのにも家族の介助が必要になりました。
トイレの悩みは、歩行の介助と排泄の介助です。
時間に関係なく発生する、まあまあな力仕事だったんですね。
また時間の経過とともに、トイレを要望する頻度が増えていきました。
夜間でも1,2回の頻度でトイレの要望があるようになりました。
もちろん、ポータブルトイレの選択肢もあります。
ポータブルトイレはベッドを置いた部屋には遮るものがなかったため、
本人もすすんで選べませんでした。
そのため、ポータブルトイレは避けて紙パンツを使ってもらうことになりました。
これは父も早々に承知して協力してくれました。
ただ、年を取ったとはいえ体重55kgある父です。
体力の低下とともに力が入らなくなったため、
歩行介助も往復すべて付き添います。
寝たきりではないですが、
体を支えながらの着衣交換、紙パンツの交換は
昼間だろうが深夜だろうが、まあまあな運動です。
わたし自身はともかく、
70歳をすぎた母が一人で介助することもあり、
トイレの介助はかなりの労働でした。
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睡眠
自宅で最期を迎えたい、というのは父母の願いでもありました。
そのながれで在宅介護になりましたが、ほどなくして母に異変が発生。
さっき話した今日明日の予定を、すっかり忘れていたり、
バラバラに伝わっているようになったのです。
当初は介護は疲れるもんな、と思っていましたが、
いつ何が起きるかわからない父のことが心配で、
夜間熟睡できていないことがわかりました。
父は病気のためか、夜間にしゃっくりがでるようになり、
ひきつったような声のしゃっくりを続けています。
就寝中でもその音で何事か!、と介護者が起き上がってしまうことは当然で、
わたしも両親が生活するようになった1階のソファで寝ることにしました。
睡眠の悩みは、
患者本人も介護者も、熟睡できなくなることだと身をもって体感しました。
母は気丈に大丈夫とはいうものの、そうでないことは家族親族の目には明らか。
睡眠不足で気持ちも不安定になったようで、
普段ならあまり発することのない乱暴な発言も目立つようになりました。
カレンダーと時間に沿った予定を忘れがちになり、
こうしたらどう?ああしてみたら?という声掛けを、
わたしは叱られた、というようになりました。
父の世話をがんばろうという気持ちと、
実際の体力の乖離が現れてしまいました。
頭ではわかっていても、気持ちの整理がつかなくなっているのだと思います。
そのため、わたしと奥さん、私の妹がかわりがわりに実家にかよい、
少しの時間でも母が昼寝の時間を作れるようにしました。
母もがんばっていますが、わたしたちも同様です。
交代して帰ってくると、それなりの疲労感がたまっていたことは否定できませんでした。
話し相手
患者本人である父はもちろんがんばっているのですが、
在宅介護を最前線で取り組んでいるのは母です。
睡眠不足からくる不安定な発言行動は、はたから見ていても心配になりました。
夜寝られないなら、日中の隙間時間で昼寝をしてもらえたらと考え、
なるべく母の行動に付き添うようにしました。
また不安な気持ちをため込まずに吐き出してもらおうと、
母の話をただうんうん、そうやね、と聞いてあげるようにしました。
この悩みは、お互いに時間は限りがあることと、
自分の気持ちを動かすことなくただ聞き手に徹することです。
母は気持ちが不安定になっているためか、
その内容はただのわがまま、文句だったり、
そもそも内容に一貫性はなくなっています。
正面から聞いているとこちらも参ってしまうことから、
相槌をうちながら聞き流していました。
とはいえ、これまでそんなことを意識したこともありません。
それなりの時間とエネルギーが必要でした。
母の話が一区切りすると、なかなかの疲労感を感じるようになりました。
在宅介護家族の負担は何?介護保険の活用
母は約30年前に祖母を在宅介護でみとった経験があります。
当時は介護保険というサービスは存在せず、
かかりつけの医者の助言のみでやりくりしていました。
仕事の事情で家を空けがちだった父に代わり、
わたしも母の介護の手伝いをしていました。
母にとってはその経験が良く言えば自信となり、
悪く言えば周りに頼るとか、楽ができるならその方法を試す、
ということが苦手になってしまっていました。
これでは私が先につぶれてしまう、という母の発言をきっかけに、
介護保険の要介護認定を申請しました。
両親の理解
祖母を在宅でみとったという自信と自負のある母には、
介護保険サービスは当事者としての手抜き?のように映っていたようです。
田舎であるせいか、ご近所の目も気になったようでした。
わたしの実家のような田舎には、
たしかに年寄りの世話は家族がして当たり前、
という空気がいまだに存在します。
共倒れになっては元も子もない、ということがいまだに先送りにされているんですね。
手抜きなどではなく、
家族の崩壊を防ぐためのサービスだということを何度も両親に聞いてもらい、
ようやく訪問看護が実現しました。
結果、訪問看護のスタッフさんにおトイレの介助や
お風呂の介助をしていただけるようになり、
母とわたしたちの体力的な負担はずいぶん減りました。
それどころか、だれかれ構わず、ときに暴言にとらえられても
おかしくない発言をするようになった母のとりとめもない話を
付き合って聞いてくださり、
わたしたちもずいぶん助けていただけました。
当事者にならないと介護保険を知ろうともしませんし、
身につくこともありません。
わたしも当事者になったことで、
なんとなく知っていたことがようやくちゃんと理解できました。
それなりに手順や段取りがある制度なので、
高齢になればなるほどサービスを理解するのには抵抗があったようです。
スタートと負担
これは以後直面した方に知っておいていただきたいことなのですが、
介護保険は要介護認定を前提とするものの、
各市区町村への申請をした当日にさかのぼって利用が可能になります。
市区町村の認定会議を経て介護等級が決まるため、
急いで申請しなければ、とあわてることはありません。
当事者にとってできなくなることが発生してから申請しても、
申請日にさかのぼって対応してもらえるため、
負担を少しでも減らそうとあわてる必要がないんです。
おかげでわたしたちも、
父の直近の介護の現状を評価していただくことができ、
申請直後から福祉用具レンタルや訪問看護のサービスを
つぎつぎと利用することができました。
くどいようですが、あわてる必要はありません。
まずは各市町村に要介護認定の申請だけしてくださいね。
福祉用具
ケアマネージャーに様子を訴えてみれば、
ほとんどの用具をレンタルで借りられることがわかりました。
そのため先走ってあれもこれもと、買いこむ必要もありませんでした。
70歳台の両親には、
レンタルとか保険が使えるという発想がそもそもなかったので、
すぐに必要な器具をそろえていただけたのは非常に助かりました。
在宅介護家族の負担は何?のまとめ
告知の悩み・・・現実をうけとめられない。
食事の悩み・・・残された時間のうちに食べてもらいたい介護側と、食べられなくなっていく患者のジレンマ。
動線の確保の悩み・・・引越し並みの時間とエネルギーを必要とすることがある。
トイレの悩み・・・時間問わずの歩行と排泄の介助。
睡眠の悩み・・・熟睡することができなくなる。
話し相手の悩み・・・聞くだけでも時間とエネルギーを使う。
こういった悩みにあらわれる家族の負担を軽減するために、介護保険サービスが存在する。
あわてる必要はないので、まずは市区町村の役所に申請にいくこと。