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立嶋篤史の凄さと実力は?キックボクシング選手としての評価評判まとめ!

立嶋篤史選手は現在51歳ながら現役のキックボクサーです。

幅広いジャンルに根強いファンがいるその凄さと実力は、いったいどんなものなのか気になりますね!

そこで今回は、立嶋篤史選手の凄さと実力や、キックボクシング選手としての評価評判を調べてみました!

https://twitter.com/Crazy_Journey/status/1664442889613758464

立嶋篤史選手の凄さとは?

立嶋篤史選手は、飛びぬけた才能で目立つタイプのキックボクサーではなく、周りからどういわれようと、不屈の精神と努力で克服してきた選手です。

反逆のカリスマ

小中学校時代にはいじめの対象だったそうです。

立嶋選手は「あってもなかったことにしてしまう、それがいじめ」と表現されました。

端的なことばですが、深いですね。

この世からなくなってほしいものトップ10に入るだろうけど、なくならないもの。

そんなころに雑誌でキックボクシングというスポーツを知り、ジム通いを始めたそうです。

そして中卒で一人タイに渡りムエタイの修行、1987年には現地でデビューもされました。

その後帰国し、1988年に日本公式デビュー。

1989年に高校に入学、在学中の1991年に全日本キックボクシング連盟フェザー級のタイトルを獲得。

このころに「反逆のカリスマ」「地上最強の高校生」とマスコミから呼ばれるようになりました。

昭和の時代にタイに単身修行だとか、高校生キックボクサーとか、一般の人からは理解されにくかったんだと思います。

学校の先生ともいろんなやりとりがおありだったご様子で、苦労の末に卒業されたとのこと。

退学という選択肢を選ばなかったところもかっこいいですね。

1994年には、年俸1200万円の契約を結んだキックボクサーとして注目を浴びます。

いまのRIZINのファイトマネーで、1試合平均100万円台ではないか?といわれてます。

約30年まえに、この契約がいかにすごかったか想像に難くないですね!

ファイトスタイル

文字通り、肉を斬らせて骨を断つスタイルです。

勝てるかどうかわからない相手と戦ってぶっ飛ばされるのも一つ、と考えておられるようです。

引かずに前に出る。映画やドラマの主人公みたいです。

ハングリーさが伝わるファイトスタイルに惹かれるファンは多いようですよ!

そんな立嶋選手のファンには、ダウンタウンの松本人志さんや、元K-1王者の魔裟斗さんもいらっしゃいます。

魔裟斗さんは立嶋選手のことを選手としても、人間的にも尊敬してるそうですね!

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立嶋篤史選手の実力は?

2023年4月に通算100戦目を行われました。

通算成績は、100戦42勝(T)KO27、50敗、8分けです。

1991年4月 第11代全日本フェザー級王者
1993年11月 第13代全日本フェザー級王者
1995年7月 第15代全日本フェザー級王者

ご覧の通り、日本チャンピオンになられるも防衛に失敗することもあり、返り咲きを繰り返してこられました。

2003年に交通事故にあわれ、数年リングから遠ざかっておられました。

復帰戦は連続して勝ちを収めたものの、以後の試合で負けが先行しておられます。

とはいえ、そのころで30代なわけですから、プロのキックボクシングのリングに戻ることがどんなにすごいことかって思われませんか?

現在51歳の立嶋選手、現役にこだわるその姿勢にエールを送らざるをえませんね!

立嶋篤史選手の評価評判は?

狂気とも思えるそのスタイルに、会場に足を運びたくなるというファンがいるほど、熱っぽい試合をされるそうです!

メディアにもてはやされる総合格闘技の誘いもご自身の信念にて断っておられ、キックボクシングで自分を表現するという姿勢がコアなファンをつかんで離さないようです。

ダウンタウンの松本さんも、後楽園ホールにそんな立嶋選手を見に行ってたそうですからね!

良くも悪くも総合格闘技には目もくれず、愚直にキックボクシング一筋に自分のやり方・生き方を表現しているのが立嶋選手の評価評判、といっても過言ではないでしょうか?

「僕は自分の為に息をして、自分の為に頑張りたい。そして、自分の為に笑いたい」というその言葉の生きざまを、私たちに見せていただけますよう応援しています!

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